2015年3月1日日曜日

回復



小金井公園。気晴らしに月1くらいでここに行きます。
僕は仕事などに疲れると新宿など都心とは逆の普段行かない方面に行く癖があり、
うちのアトリエから電車で一本、新宿と逆方向で程よく離れた場所にあるこの公園は
僕にとってうってつけの場所なのだ。

公園の最寄りの花小金井駅は3年半前に交通事故で亡くなった、
僕が好きなある歌い手の住んでいた場所です。
きっと彼はこの公園によく来ていたのだろうなと想像し、 
彼の歌を聴きながらぶらっと一周して帰るのです。ただそれだけ。
とかいって他の曲もけっこう聴くけどね。
ここに来るときは大体疲れてるときなので、生きる力を受け取りに行く
儀式みたいなかんじ。そんで帰りに駅前のミスドでリフレッシュした
頭と心でデザインとか考えたりしていく。

彼ほど生きている歌を歌う人はいなかった。
だが彼は死んだ。 
なんで彼なのかは神様にしかわからない。
俺が彼の立場だったらきっと闇と闇の間で寂しくてやり残したことだらけで
心残りで成仏できずにいるだろうな。

やっぱり生きるって辛いことも多くて、 
もういい大人になっちまった僕に甘えられるような場所もなく、
けっこうきついのだほんと。そんなとき何度も彼の歌に救われた。つい最近も。

年とればとるほど我慢しなきゃいけないってことが増えてくだけで
傷つくもんはやっぱり傷つくし、朝、何気ない喪失感などから
布団の中で聞く飛行機の音の空しさにどうにもならなくなる時もある。
そんなとき、生きている、何かを感じることができる、感情がある、 
それだけで素晴らしいということを歌を通して伝えてもらい、助けてもらった。
もうどっちが生きてんだかわかんねえな。

とにかく、彼の生きようとする力は僕にとって本物であり、永遠であり、
それが生きるということなのだ。だからずっと聴く。 
僕の中ではまぎれもなく生きてる。僕みたいな人はきっと沢山いるはず。

だからどうか天国へ。僕は最後まで生きるよ


2015年2月1日日曜日

最後の


いつから好きなことを仕事にしてそれなりに食ってけりゃいいやとか、 それなりって
言うようになったのか。最初はそんなじゃなかった。
自分の状況とか性質、環境、世間の雰囲気、仕組み、そういうのを知るほど、
というより知った気になって、限界を知った気になって、それでも普通に食えてんだから
それでいいじゃんとか考えてやがる。冗談じゃねえ。

いつも、すごいものつくるとか言ってるくせに、
満足いくところまでやりきれたことがない。
いつも、それなりだ。あげく、時間がなかったとか言い訳にしてる。
この前の写真だってなんだあの中途半端なのは。
かつての俺がライバルだと思ってたやつや尊敬してたやつの何人かは雲の上の存在に。
すげ〜なあ、とか何を見上げてんだよ。冗談じゃねえよ。
ふざけんな。俺の方がすごかったじゃねえか。むかつく、ざけんな。
俺は俺のペースでとか言ってる場合じゃねえんだよ。
今の自分の現状でも作品で張り合うことはできんだろうが。ぜんぶ 俺次第なんだよ。

喉から手が出るほど欲しいのに、ずっと手に入れられないものがいくつかある。
それが手に入らない最大の原因はやはり俺であり、はっきりいって何もかもが中途半端なのだ。 かっこうよくないのだ。 服づくりだけでなく、自己管理も何もかも。
例えば、ずっと欲しかった、好きな仕事をしながらの豊かな生活。これは、
実は俺が毎日それなりではなく、必死に集中して仕事に取り組めば、既に叶い得るものなのだ。
それをダラダラとやっているから生産性が悪くなる。性格や環境のせいにして。
ゆるいモチベーションに流され決断は遅くなる。息抜きする時間もろくになくなる。
ダメな原因はすべて自分。

だから、俺は集中する。集中してそんな自分を突き放す。
生まれつきだらしないからとかいいわけすんな。クソみたいな自分の身から出たサビ。取り返す。

覚悟がまだまだ足りなかった。命を投げ出して掴みにいく覚悟。
次、それなりな服で終わったら、満足いくコレクションにできなかったら、服をやめる。
透明な俺、最後のチャンスだ。俺がこの程度なのは俺のせいだ。これが最後のチャンスだ。

とりあえず殴り書き。まずは早く生産やり終えないと。やってもやっても終わらねえけど終わらせる


 

2014年4月23日水曜日

はるかきみへ 2014-2015 Autumn/Winter 「裏世界」

 
 
 
*過去のコレクション画像などはとりあえずこちらである程度見れます→ はるかきみへTUMBLR
 
 
 
model : たりほ/木村 仁美
photo : 宮原 義明
 
 





























2014年2月25日火曜日

裏世界






服のデザインは出尽くしたって、僕が服づくりはじめた頃すでに言われてたけど、嘘じゃん。
10年前なくて今ある服のデザイン、価値観、組み合わせ、色々いっぱいあると思います。
だから、今でも服のデザインは出尽くしたと相も変わらず耳にしますが、
誰がなんと言おうが、これからも沢山見たこと、感じたことないものが生まれるわけで、
それらを自分で見つけていくこともできるというわけです。
それらを探すことなしに満足はなく、僕はそのために生きてます。

かねてより、僕は作る服が自分であってほしいと思っています。

この思い通りになかなかならない現実世界の中で、
それでも自分を通しあがき前に向かって変化しようともがいていく様に
最大限の人間らしさがあり、そこから生まれる可愛さは素直でなく奇妙だったりもしますが、
僕にとっての服の中身の大部分はそこにあり、魂なのだと思います。
素直になんかになってたまるか。

中身中味。
たとえば、みんなに好かれる可愛いらしいおしゃれな女の子がいて、
その子は世間との違和感に悩んでいた。
みんなに受け入れられる可愛いとかオシャレというのは、実は雑誌やテレビなど世間からの
こうあることが望ましいという刷り込みであり、本当のその子はそこにいないことになんとな~く
気づいてしまったからだ。心の裏側に潜むよくわからん本当の私を真摯に探求するほど、
世間の可愛いとかおしゃれとは離れていってしまう。だから、悩む悩む。

僕は、そういった裏側に押さえ込まれた私が表に出てきちゃって、
それを受け入れてくれない現実世間との狭間で葛藤してる複雑なかんじ、
なんかいいなって思うのです
そして、そんな得体のしれない本当の私を知り、苦しみつつ楽しみつつ
表側の私といっしょに世間に表現している人って本当に素晴らしいと思うのです。

勿論、そんな葛藤とかせず、世間にうまーく自然に自分を落とし込める人もいて、
そういった人は正直正直羨ましいし、とても素敵です。
でも、少なくとも僕は、色々不器用であったり素直でなかったりで、
全然うまく自分をおさめられなくてとても苦労した。

漫画とかドラマで出会ったスマートでかっこいいあのキャラクターのようになりたいと思ったけど、
そもそも僕は馬鹿であり、そのキャラとはかけ離れていて、無理だったのだ。
いっくらスマートを装ってもすぐにボロが出て、気付いたらくそひょうきんな僕に戻っている。
だから、いつからかそんな自分を理解し、なるったけ嘘をつかずに開き直って生きてます。

くそ寒い冬の夜、近所のガストでこのブログを書き
かれこれ10ヶ月ぶりにブログを更新している僕ですが、2014SSのご注文頂いた分
などの制作がなかなかなかなか終わらず(毎度のことで恐縮であります)、全部完了させてから書けよというかんじなのですが、すいません。

納得いくまでデザインした服を、いざ商品としてきっちり完全に作り上げる重さを痛感しています。
そして、その注文分の制作に追われ、新たに頭の中に浮かんできているものを
14-15AWの服としてなかなか作り出せない歯がゆさも感じます。

ところがどっこい、服の世界でやっている以上、生産時のこの重さは重いほど、
次の服へのバネになるのですから超ありがたいものなのであります!!


最後に次のコレクション。
まだ確定ではないのですが、展示会を
原宿で4月24日(木)~27日(日)、おそらく大阪でも5月上旬に行います。
確定次第改めて告知しますね。時間がねえええええええええええええええ

んで、
久しぶりにテーマを設けます。テーマは「裏世界」。
単純に裏ということでもあり、さっき上で書いたような、心の裏側だったり、
僕が勝手に感じるドラクエみたいな裏の世界でもあり、パラレルワールド的だったり、
異世界、裏側、きれいきたない、表の私と本当の私。なんでもいいや。

ただ、強くいきたい。
ほんの一握りの人にとっては、圧倒的と感じてもらえるコレクションにしたい。
一着一着作っていく中で、僕自身がまだ見たことないものに出会えるように
取り組んでいく所存です。



2013年4月9日火曜日

時間旅行




 





ドラえもんでもなんでもいいや。
どこまでも無限に遠くまで見える望遠鏡があるとする。
100光年離れた星は100年前の光が今地球に届き、100年前の姿が今見えているように、
たとえば200光年離れた星、もしくは宇宙空間から地球を見れば、
江戸時代あたりの日本を見ることができちゃいます。
相対性理論によれば、200光年離れた場所から光の200倍の速さで1年で地球に移動すれば
199年前にタイムスリップできるそうです(間違ってたらごめんなさい)。
でも、重さのあるものは光の速さを超えることはできないみたいなので、
体ごと時間を超えることはなかなか難しいでしょう。 
でも、自由に見るだけならできる気がします。

さらに創造を脹らませ、望遠鏡の機能をさらに引き上げ、
50億光年の遥か彼方先にある、青い星をじっくり眺めてみる。
そこには地球とうりふたつのような文明が栄えていて、美しく整備された自然、綺麗な建物、
たくさんの乗り物、幸せそうな家族、可愛い服を着た子たち、、、
みんな楽しそうに笑っています。 歴史の営みを感じます。
宇宙は無限に広いわけだしそんなことだってあり得るでしょう。そんな豊かな光景が見えます。
でもそれは50億年前の笑顔です。まだ地球は生まれてもいない昔昔昔です。
実際には、笑顔どころかその星自体がとっくの昔、地球と入れ替わり位の時期に
小惑星の衝突か何かで消滅しています。
望遠鏡をとおして見える笑顔やら可愛い服やら素晴らしい文明は、
細かい塵となり宇宙空間を何かの軌道に沿って周っていることでしょう。
もしかしたら地球はその星の生まれ変わりかもしれません。
とりあえず、残っているのは光の記憶のみです。
心には重さがないからだろうか。心の中ではある程度、過去を感じ、振り返ることができます。
未来を感じることができる。曖昧ではあるが、時間を移動することができる。
それは当たり前すぎて忘れがちだけど、
時間軸を超えて何かを感じることができるということはすごいことなのだと思います。
前にもブログで書いたことだけど、
心は、体とはちょっと違った光の速さとかを基準にした別の次元に所属しているのかもしれません。
僕が生まれたあのどしゃ降りの雨の朝、校庭でサッカーやってたあの日、修学旅行のあの瞬間、
楽しかった夏の思い出、色々打ちのめされてフラフラ最悪だったあの日の帰り道、、、
もちろん建物の中とか空が曇ってるとか大気で、宇宙から見えねーよとかもありますが、
とりあえずそういうのは置いといて、望遠鏡さえあれば、もしくはとんでもない視力があれば、
その一瞬一瞬、宇宙のどこかに見える場所があるということです。
僕のその時々の像は光の速さで移動しながら、
宇宙空間に永遠に存在しつづけることになるってことなのです!!
どこかの人知を越えた神様は、仕事としてか、興味でか、気まぐれかは分かりませんが、
壮大な方法で永遠に色々を記録しつづけているのかもしれませんね。
おつかれさまです。