2010年6月16日水曜日

若き時間の流れ

 

先日ぷらっと実家に帰ったついでに、久しぶりに地元である厚木の街をぷらぷらしました。

前にも書きましたが、僕は神奈川県の西部(秦野市)を地元としています。
僕の地元では買い物は近くの大きめの街である厚木ですませることが多く、生まれつき
何かと縁の深い街なのです。
ちなみに僕は厚木のとある病院でどしゃぶりの中いきなり生まれたそうです。

厚木市の隣には海老名市があり、その2つの市の間には相模川という大きな川が流れています。
あいにくその日はほんの少し雨が降っていましたが、気にせずにその川沿いをひたすら
歩いてみました。 夏のにおいが届きはじめていたこともあり、
どこまでもいけそうな気持ちだったのであります。

昔は生活圏だったので、しょっちゅう用事があっては訪れていた厚木ですが、
今では特別行かなければいけないといったことも滅多にないので、ちょっと駅から
離れてしまうとその場所自体が僕にとって久しぶりの場所となり、前にこの道通ったときはまだ
学生だったなとか、その時は確かあんなこと考えてたなとか、自然と心に浮かんでしまいます。

同時に、それはちょっとした潤いを僕に与えてくれます。
今は服ばっかですが、あの頃は色々、あれやこれや悩んでたなと、今とはまたちょっと違った
潤いを取り戻すのです。

話はかわりますが、ちょっとまえに友達と時間の感じ方についてあつく語る機会がありました。
年齢をとるにしたがって、時間の経ち方が早く感じるようになるのはなぜかということ。
たしかに僕も昔に比べて時間が経つのが早いなーと思うのです。一週間なんてあっという間です。

一般的な意見としては、時間に追われることが多くなる、とか、自分の生きてる年数との相対的な
対比(例えば10歳の人の1年の感じ方は20歳の人の1年の2倍といったかんじ)などが
挙げられますが、僕が面白いなと思った話は、 「だんだん悩むことが少なくなるから」 
といったことでした。

だんだん悩むことが少なくなる。もう少し具体的に説明すると、
人それぞれ色々な経験をしていき、生きていく中でおこる様々なことが、その人の中でじょじょに
パターン化できてきて、特に人間関係など、いちいちあれこれ悩まなくても大丈夫に
なるからだそうです。

ある意味自分を守るために。心が強くなるというか。。
こーいうときはあーだから、あーいうときは経験上こんなかんじだと思われるから
大丈夫、しょうがない。。などなど

たしかに昔はささいなこと、友達や他人のちょっとした行動が気になったり、悩むことが多かった。
今の僕なら気にも止めない、むしろ笑いとばすようなことで。

はじめは時間の感じ方と悩まなくなるといったことの関連にイマイチしっくりこなかったのですが、
その日たまたま会った知り合いに同じ質問をしたら、あんまり悩まなくなるからかな、と全く同じ答え
が返ってきてびっくりし、ちょっと真剣に考えてみたのでした。

今現在、好きに服をつくって、服のことばっか考えて生きているわけで、もちろん僕が望んでそう
なったわけであります。それに、なんだかんだで生きてきて今が一番充実してるように思います。

久しぶりに厚木を歩いていると、厚木の街に毎日のように出没していた頃の僕は、服以外のこと
でも大いに悩んでいたなと、なぜだか胸があつくなるのです。将来やら恋愛やら悩みなんて
人それぞれですが、悩んだって意味ないし、つかれるだけだし。でも、あつくなる。

やっぱりその、今となってはあほくさい無駄なことに、きっと言葉にできない潤いがあるんだと
解釈できます。しかも時間の感じ方にも影響するかもしれないなんて、それはロマンですな。
若さというものの素晴らしさがほんのほんの少しみえたかもしれません。

必ずしも素直に美しく割り切れるものだけでなく、割り切れずにあまった何かにこそ
感じ入るものがある。それが人間。

別にすすんで悩もうとは思いませんが、またひとつ思い出すことができそうです。