2011年12月31日土曜日

遠い日の歌

 






  なんだかとても絵を描きたい。ちょっと本格的に。


  そういえば昔、大学に入ったばかりの頃、僕は服をやるか絵描きになるかで迷ったことがありました。

 小学校時代に、僕の夢は漫画家ですって時期もあったな。

 パラレルワールドがあれば、その世界では僕は画家かもしれないし、漫画家なのかもしれない。売れてるかどうかは

 知らないですけど。





  服をはじめて11年目の年がもう終わります。 

 いつの間にか31歳になってしまった。おっさんだ。

 そういう年頃なのかといってしまえばそれまでなのですが、
 
 最近の僕はいつも切なさを感じるのです。なんとなくいつも、懐かしさの入り混じったもの寂しいかんじがする。

 そういう年頃なのだろうといってしまえばそれまでなのだが、、

 この切なさの正体はいったい何なのだろうか。 考えてみました。


 


  考えてみましたと書きましたが、考えるまでもない。


  僕は過ぎ去ってきた年月、若さのようなものに憧れているのだ。

 切なさの一番の原因は、その憧れは決して実現することはないからです。当然のことですけども。

 叶わない恋のようなものによく似ているのです。

 まあ今ならぎりぎり大学生っぽくはなれそうだけど。おっさんになってしまった僕が高校生になんて絶対になれない。

 若さとはきっと無条件に素晴らしいものなのだろう。やりたいことをなんだって始めることができる。


例えば漫画やドラマを見ていて、未だに青春ものが好きだったりする僕は、
高校生あたりが主人公だったりする
恋愛ものや、バスケとかサッカーとかの青春スポーツものを見て昔とかわらず、
むしろ昔よりも感動して、うぐうゎぁ!としょっちゅうひとりで泣いたりします。

まあ、感動している最中はいいのですが、その後ふと、我に返るとなんだかとても寂しい
気持ちにもなるのです。
そしてその寂しさは年をとるごとに深いものとなってくる。懐かしさにも似ている寂しさだ。

自分で言うのも何ですが、僕は気持ち、心意気は中学高校のとき以上にあつく生きている
ように思います。
清くなくてもいいから、多少正しくなくてもいいから、美しく生きたいと感じています。
自分の気持ちを大切に生きています。

小学校の頃、休み時間に一生懸命サッカーボールを蹴っていた自分を感じることはできるし、
そのときの無我夢中だった気持ちを思い出すことはできます。
とてもワクワクしていた。そこまで昔であるとも感じません。

でも、いかんせん僕はもう31歳のおっさんなのです。その事実は絶対に変えられません。
当たり前すぎますが、過去の時代に戻ることはできないのです。
 
この切ない感覚はとても深いものであり、僕は大切にしたいと感じました。
誰しもが抱いていくであろう、この年月と共に深まってくる切なさとしっかり向き合うことで何かを表現したいと思うのです。
しばらく後ろばっか見て生きていこうと思います。

そんなかんなで、

過ぎ去ってきた年月の切なさを胸に抱きつつ、
とりあえず本能にまかせて女の子の絵を描いていこうと思います。
なぜ女の子なのかというと、僕にとって女の子とは切なさの象徴だからです。
僕を突き上げてもくれるし、思いっきり突き落としてもくれます。
恐怖喜び不安怒り涙昂揚全てがそこにはあり、これ以上の存在はありません。

力の源はいつもそこにあった。

パラレルワールドで生きている画家の僕にちゅろっと手招きをされているみたいです。
なんだかんだで僕の本業は服をつくる人なので、色塗りはえりんこに手伝ってもらおう。

2011年大晦日、ひとりアトリエで女の子の絵を一生懸命描いている31歳。
素晴らしく切ない。せめてデザイナーらしく服でもつくってろよといいたい。
でも、そんな自分に満足であり、そんな自分がしっくりくるのだからしょうがない。

出来るだけ自分の気持ちをしっかり感じ取り、自分に正直に生きるのであります。
絵に描いたようなかっこよさなんて僕には必要ないのだ。

このザワザワした気持ちの中、どうも今日はみんなで集まってバカさわぎする気にはなれません。
きっとこの切なさの中に僕にとってとてもとても大事なものがあるのだ。
未だそれが何なのかよくわかりませんが、それをつかみ出すのだ。
そのために表現していく。僕はその繰り返しだ。

そろそろ12時をまわりそうなので、年越しそばを食べに昨日アトリエの近くで発見した
定食屋のおばちゃんに会いに年越しそばを食べに行こうと思います。 
あのおばちゃんも若いころは綺麗だったんだろうな。

それでは皆様、良いお年を。。