2013年1月9日水曜日

好きなのに嫌い



ちょっとおそくなりましたけど、あけましておめでとうございます!

明日からいよいよ、はるかきみへ の大阪での展示会が始まります!
大阪。イベントで行ったことはありますが、いつも時間がいっぱいいっぱいでぶらぶらすることが
できず、土地勘がほっとんどございません。知ってる人もあんまりいません。

そんな心細くなってしまうような場所に、すでに僕の服を知ってる人がいらっしゃるというのは
とても心強いことでして、なんだかとてもロマンなことでして、実際に見に着ていただけて、
直接お話しできたりするのかなと思うとテンション上がります。

そんじゃこれから搬入に行ってきまっす!






                   

前回(12/25)のブログで、

このことは次回説明するゼと添えて僕はこんなことを書きました。

『 だがまだ終わりではない。さらに先に進むためには、そんな積み上げてきた大切な大切な
自分らしさすら、壊していく必要もあるようです。』 

ではでは、一体それはどういうことなのか。詳しく考えていきたいと思います。
僕の服にはギャザーとかフリルとかレースとか淡い色づかい、アンティーク、ふんわり感、、、
そんなかんじな服はやっぱりすごい好きです。好きなもんはしょうがないべ。
 でも、実は嫌いでもあるのです。嫌いなもんもしょうがないべ。

ん、、好きだけど嫌い? どっちだよ!

この、好きなものを好きであると同時に、いつのころからか芽生えてきた’嫌い’という感情。
実は実はじつは、これはものづくりにおいて、とても大切な感情なのであると僕は思うのです。

ではなぜそのような感情が芽生えるのか。簡単にいってしまうと、
自分らしいものをつくりつづけ、より高い水準にしていくことで、
自分らしいもの以外がつくれなくなるからです。
自分らしいもの以上の水準のものを、自分らしいやり方以外でつくる自信がない。
結果、自分らしさに依存するようになってしまう。そんな自分が許せぬ。大体こんなかんじ。

いつのころからか、はるかきみへっぽいものばかりつくってしまっている。 んん、、んんん、、、!
はるかきみへなんだから別にいいじゃねーか! そのとおりです!!
それを目指してきたんだから別にいいんですけど、本能では、変化も求めてしまっている。

同じ場所に居続けてはいけないと、これまでの世界にとんがったナイフをつきたて、
それを切り裂こうとしている。もちろんこのかんじは以前からある感覚ですが、
そんな感覚が最近になって本格的になってるんです。
もちろんこれまでの世界は頑強に抵抗するので、そう簡単に切り裂けなんてしませんけどね。

もうよくわかんねーな。必死こいて見つけてきたはるかきみへの世界に自らとんがりナイフ。
じつはけっこう前から僕の中ではそんな不思議な戦いをしています。マゾよこた。

不思議ですが、これは正しいことだと思います。
表現において、変化は正義です。最近特にそう感じます。 

そして、新しさはその一連の中で求めていくべきものであります。
もっと突っ込んでいうと、新しい自分に出会うために表現しつづけている。
たとえばいつかの未来、僕が死ぬころ、築きあげてきた自分の人生全体を通した視点で
見てみれば、

今の僕が新しい自分に出会おうと必死こくことは、より深く自分を知るということだ。
新しい自分自身の感覚を知るということですから。

そのマゾナイフが特に一番気に食わないもんは、おそらくつくりあげてきた自分の世界にドヤ顔
しているやつが嫌いなのではないか。可愛い服だから何なんだよ。そこに本当のお前はいるのか。
まだまだお前は無知だ。生きてる限り満足してんじゃねーよ!!と。 ザクザクぶしゅうう

好きは嫌いの裏返し。嫌い嫌いも好きのうち。ってこういうことでもあるんかなと思います。
表現において、マゾです、僕は。最近特にそう感じます。

新しさとか変化とかそれでいて可愛くとか、はっきりいって難しいですよそんなの。でも、それでも
そこに向かっていくのと、そんな自分を見て見ぬふりするのとでは全然ちがうと思います。
出来上がるモノは、ただの平和ではなくなるはず。

今年、可愛らしくあれという僕の服づくりにおける絶対神のもと、
はるかきみへが好きな自分と嫌いな自分の戦いが、相反する僕の中での格闘が、
素晴らしき明日への服へとつながっていくことを切に願い、服づくりに励んでまいります。

今年一年、また見ててください☆