2010年12月6日月曜日

彼らが見ている世界

 






アトリエのすぐ近くにいる猫です。こやつはアホみたいに人なつっこいやつで、
だいたい同じ場所にいることが多いので毎日のようにふれあっています。
おかげでかなり仲良しになりました。

かわいいやつで、話しかけると何かしら返事をします。ただし、あたりまえのことですが
「おはよう」と言っても「ニャ」、「アホ」といっても「ニャ」としか言いません。野生のくせして
人前でやたら無防備にゴロンゴロンしおってからに。
こいつらは一体何を考えて生きているんでしょうか。
動物と人間の最大の違いは、言葉の有無ということですが、ふと、言葉の存在しない生活とは
どのようなものなのか気になったので、ためしに一日なるったけ言葉なしの生活をしてみました。
単純に、(完璧には不可能ですが)言葉はこの世にないものとしてひたすら言葉を頭に
思い浮かべないようにしました。

それで気づいたこと。 まず、言葉がないと論理的に考えることができなくなり、あらゆる
物事の輪郭を保つことが難しくなり、いろいろとぼやけてきます。人間は頭がいいから言葉を
使い始めたんでしょうけど、言葉を使うことで飛躍的に論理的な思考を身につけたんだなと
感じました。  

そして、言葉を失くすことで論理的な思考力の代わりに本能とか深層的?なものをひっぱり出す
ようになります。思考>本能ではなく思考<本能といったかんじかな。

で、「はっ!」と思ったこと。

この、論理的な思考よりも、(どちらかというと)深層心理的な部分、本能や感情のようなもの
に支配された世界は、夢の中の世界とかなり似ているのではないか。

夢の中に論理や現実的な理屈はあまりないように思います。どちらかというと、その人の
本能や感情に従った、論理性に欠けた曖昧な世界がチャチャチャッと創り出されていて、物事の
輪郭はぼやけていることが多いです。論理がないということは、おそらく言葉があまり存在しない
ということなのではないか。言葉がない分その世界は瞬時にめまぐるしく創造され、
論理がない分 記憶として刻まれにくく、すぐに忘れてしまう。

反対に、現実の世界はどうだろうか。これが見事に夢の中とは反対のようです。
本能とかよりも、どちらかというと論理的思考や言葉に支配された世界で、物事の輪郭は
かなりはっきりしています。記憶も頭にある程度しっかり残ります。

つまり、夢と現実の違いは、その世界において言葉、つまり論理的な思考をたくさん使っている
かどうかによるものなのではないでしょうか。論理か本能か。




猫や犬、パンダ、イルカ。。。 気になる動物はたくさんいますが、彼らは何を見て、
何を感じて生きているのでしょうか? 単純に、人間が現実において比重をおいている思考力や
論理の観点でそれを考えてもあまり意味がないことだと思います。

そもそも彼らはほとんど言葉のない世界で生きています。そして、論理をあまり必要としていない
世界で生きているともいえます。そして、人間にとって彼らは現実世界にいながら、
夢の中にいるようなものなのだという考えに至りました。

動物には人間にとってなぜだか理解しがたい不思議な力(帰省本能や飼い主の帰りが
分かったりとか)がありますが、その不可思議さは夢の中の出来事だと思えばあまり不思議では
なくなります。夢の中ならコツをつかめばできそうなかんじがします。そりゃあ生きてる世界とか
次元が違えば、人に見えないものが見える、感知できたりもするでしょう。

彼ら動物は人間の見る夢と同じような世界を見ている。そしてそういう世界にいる。かもしれない。 
以上、僕の勝手な憶測でした。休日に長々と真剣にそんなことを考えていたのであります。
これが真実かそうじゃないかはどうでもいいとして、まあ本能や感情の面白さを再認識できたし、
論理的思考のおかげでここまで話をふくらますことができ、言葉にすることができました。
そんでもってこういうことの仕組みを自分なりに解釈していきコツをつかめば、
もっと楽しく服づくりができるんじゃないかと思います。

また僕にとって世の中は立体的になり、楽しいものになってきました。