2011年7月3日日曜日

青空

 

100年後について考えてみました。

100年後がどんな世界かなんてあんまり興味はありませんが、
今生きているほとんどが死んでいるのは確かです。

僕はもちろん、テレビに映ってる芸能人やきれいな女の子とかも、好きなスポーツ選手も、
さっきマックでた楽しそうに騒いでた子供たちも、その辺を歩いてるおっちゃんおばちゃん兄ちゃん女子高生犬も猫も親も友達もむかつくヤツもみんなみんな全部死んでいる。

今、一生懸命つくっている服も100年後にも存在しているものはどれだけあるのだろうか。
建物もそうだ。会社とかもそうだ。たくさんの人間のつくりあげたものもほとんどが100年後には
なくなっているだろう。





みんな死んだ後の世界。誰も僕のことを知らないであろう世界。僕にとっては、誰もいない世界。

一見、すごく悲しいことのように感じるけど、
不思議なことに僕にはそれがとてもポジティブなことのように思います。

”100年後はみんないないのだ”ということが、谷底とか海底とかの怖い無の世界ではなく、
青空のような澄み切った”無”のように感じるのです。
おそらくそれが自然の流れだからなのでしょう。

そして、未来にある、その青空は今の僕を自由にしてくれます。

死んでから自由の空にいくのではなくひたすら自由の空をとんでそのまま自由の空で
死んでやろうと思います。どうせそのうち消えるなら、それが恥ずかしいものだろうが
ひたすら自分の絵を描いて生きていこうと思うのです。

さらに、ひたすら描いて描いて、死んだ後に消しきれずに100年後も200年後も1000年後も
残ってしまうようなものもできてしまったら、それはそれで最高なことであり、
そうありたいと思います。

本当にその気にさえなれればどうにかなる世の中ですし、それは何よりも楽しいことです。

初夏の匂いに色とりどりの懐かしさを感じているのがあなたなのであり、
とにかく、できるだけ自分の空をとぶべきだと思うのです。