ギャザーとタック、想いをよせて服をつくる。今回のコレクションのテーマです。
ギャザーとタックは、僕がこれまで服をつくるうえで用いてきた最も基本となる手法です。
このふたつをテーマとして頭に入れながら、気持ちと布をよせるのです。
余計なことはあまり考えずに、とにかく手を動かすようにしています。
単純な僕にはぴったりのやり方だ。
今回はあたらしいことを、というよりも、「今」の自分をまっすぐに、
そしてこれまでよりも強烈に、素直に服にのせるのです。
おかげさまでこの2、3か月間はいつも服といっしょにいるかんじだ。
とにかく、余計なことをしたくなかった。自分にはこれしかないのだろう。
想いをよせる。
よく、オレの想いをーーーっ!!、とか、想いをなんちゃらといいますが、その想いとは何なのか。
思いではない。重いもよろしくない。
あ、でも表現するということに関しては多少重くなってもいいかもしれないですね。
字のまんまですが、想いには必ず相手の心があるようです。
僕にとってその相手とはもちろん、僕の服から何かを感じてくれる人であり、
また、つくる服たちそのものでもあるのだろう。
そしてそれは、僕自身を想うことでもある。
「今」の自分はそういった相手に対してどんなことができるのだろうか。
なんだか想うというのは地味で暗い行為である気もします。
本人はそう思ってなくても自己満足の延長かもしれない。なんとなくぬめっとしてて気持ち悪いし。
想いなんてどんなに込めようが、ごっちゃごっちゃのこの世の中、
気づいてももらえないことがほとんどだ。
僕みたいな変テコな男の気持ち、まともに気づいてもらえることはむしろ奇跡だ。
それは見知らぬ暗い場所でおっさん気合いで明かりをともしつつ、
約束もしてないくせに勝手に誰かを待っているようなものである。ヘンタイじゃねーか。
たとえば、自分があまり知らない、行ったことあるようなないような夜の田舎の街に
入り込んでしまったとする。
そこはなんとなく懐かしい感じがするけどあまり街灯もなく、なんとなく寂しく、
不安になるような場所。駅からだいぶ離れていることもあり、人もあまりいない。
でも、偶然であれ必然であれ、そんな場所で服という発光体をとおし誰かと出会うことができたら、
僕にとってそれはなんだかとてもファンタジーなのである。
今日はよく晴れていたので自転車を走らせていたら、公園でもない道にポツンとブランコが
ありました。午前中のあたたかく澄んだ、ちょっと花のにおいのまじった空気の中にたたずんでいるそのブランコはとてもとても澄んでいていいかんじでした。
今度、絶対このブランコで自分の服の撮影をしようと思いました。
次(13SS)のコレクションのテーマやイメージもどんどん見えてきます。
それはとてもしあわせなことなんだと思います。
まだ今回の12-13AWも終わってないのに、もう13SSのコレクションから
お呼びがかかっているようです。
言葉ではない。とにかく可愛い服をつくります。