2010年7月9日金曜日

思い出す

 

よく耳にするフレーズ。
他の誰かと自分を比べて、足りないものを見つけ、刺激をもらって成長。。。
一見、世の中で良しとされているスタンスであり、確かにとても大切なことです。
でもそればっかりじゃつまらないと思うのです。そればかりだとつかれますよね。いちいち自分の足りないところばっかり見てても面白くもなんともない。
だからときには逆のアプローチでいきます。

音楽の神様だとか、サッカーの神様だとか、服の神様だとか。。。
人それぞれ色々神様がいるようですが、僕にとっての神様は僕の外側にあるものではなく、
僕の内側にあるものだと感じています。
自分はあれが足りないではなく、自分は元々、まあ大体完ペキなんだということにして、
ただ、色々忘れてしまっているだけなんだと考えるようにして、深く、感覚的に思い出すために
いろんなことを体験していく。そのために生きている。

例えば僕の場合だと、思い出していくために服をつくっているともいえます。
僕はそうした日々思い出していくなかでみつけたことが時に必然的に、
時にちゃらんぽらんにかさなりあって、この目に見える世界でのひとつの形として、
又はその象徴的なものとして、服が出来上がっていくということです。

たとえばヤバイかわいい柄の生地を見つけたら、そのヤバイかわいいという感覚を
見つけたことは、自分の中の何かを思い出したということ。

別に、生地とか服に関することじゃなくても何でもよくて、何か前向きな感覚を得ることが
大切だと思います。 前向きな感覚がひとつのものさしとなり、そういったことのつみ重ねや、
ときには思い出した感覚同士の一期一会で服ができていくことが多いです。

僕は何々が絶対正しいとか、ひとつの価値観、考え方が全てだとは思いませんので、
冒頭のように自分と自分以外の人間を比べることもけっこうあります。

でも必要以上に比べてしまうと、次第に足りないものばっかり見るようになっていき無駄に
へこむだけなので、基本的には自分と比べるのは自分自身であるとしています。

見つけたこと、思い出したことに一喜一憂している方がなにかと気分がいいしテンション上がる
ので、僕にとってこういった思い出す的なことは自然なことであるんだと思います。 
そして、自然になればなるほど、元々の大体完ペキな自分自身に近づくことができ、
そういったところに神様のようなものを感じるのです。