2012年11月11日日曜日

オレらは孤独だぜ



マックとかでコーヒー飲みながら人を観察してると、ほんと色々な人がいるなと思う。

とりあえずぱっと見渡すだけでも、
普通のサラリーマン、学生、女子高生、小学生、ホームレスっぽいおっちゃん、
ひたすら体揺らしエアギターしてるアツいバンドマン風のおっさん、  何かの撮影前で、
急いでメイクしてるモデルさん、  プロっぽいバイオリン演奏者の綺麗なお姉さんもいた。

ちなみにコレクション前の僕は身だしなみどころではなく、コンタクトではなくほぼメガネで、
いつも以上に適当な身なりになるので、おそらく人生にくたびれたかんじのちょっとダメな、
チャリで動き回ってる、なぜだか女の服の絵を描いているきもおっさんに見られているだろう。
多分デザイナーだとは思われるわけがない。しったこっちゃない。

それぞれちがう環境で育ち、ひとりひとり世界の見え方はめちゃくちゃ違うんだろうなといつも思う。
たとえば僕の服に対する見え方、感じ方もそれぞれ異なる。おんなじ人間なのに。
それはやっぱりなんだかすごいことだなと感じます。

だが、目の前に人がたくさんいるからといって、それぞれの世界が交差できるわけではない。
基本、それを垣間見ることも難しい。
どうあがこうが、僕の前を通り過ぎるほとんどすべての人たちの世界をみることもなければ、
僕の世界を見せることも不可能なのだろう。

人間は人間という曖昧な枠の中でそれぞれ曖昧に異なる世界があり、
時には自分以外の人間の世界を垣間見たり、共有したりします。
大体みんなさみしがりやなのです。

だから、僕もできることならたくさんの人の世界と交差したい。昔からそう感じています。
たくさんの世界と交差したいといっても、別にだれかと直接交流しまくりたいわけではないですよ。

普段、僕はひとりですごしていることが多く、遊ぶにしてもだれかとどこかに行くのではなく、
マイペースにひとりで気が向いた時にどこかにでかけるってかんじが好きで、 ほとんど服ばっか
でそれ以外はどうでもよく地味に生きていますが、

なんだかんだでさみしがりやです。それはなぜか。

だれかの世界に感動する。だれかに自分の世界を見てもらい何かを感じていただく。
ということをいつも求めているからです。
だから、さみしいのは本能だ。
さみしいから表現するのかもしれない。
孤独の中でこそ人間の世界は育まれるのです。

同じ空間、時間軸に生きてるけど、違う世界に生きてる人たち。これから僕は服を通し、
そういう人たちに出会い、心にほんの少しでも交わることがあるのかと思うとすごい楽しくなる。
ワクワクするのである。表現することの喜びのひとつである。

心は宇宙である、と書きましたが、心は宇宙のようにとらえられることがある。   
宇宙はよくわからない。よくわからないから怖い。真っ暗だから不安だ。 孤独だ。さみしい。

だから無数に輝く星があり、銀河がある。銀河鉄道も走っているかもしれない。
楽しくなってきたと思いきや、とんでもブラックホールもある。それは人間の心そのもので、
宇宙と心のイメージは大体みんな共通です。
そしてそれぞれそんなかんじに孤独なのであり、さみしいのである。

今、僕は撮影直前(あと一週間だぜ)。直前のくせして、
これから想い思い重いスーパードレス×2着&狂った帽子10個位&ブラウスワンピ1着ずつ
&その他の服の仕上げに取り掛かる。

これは終わるわけがない。でもつくりたいデザインを思い付いちゃったんだからしょうがないべ。
無茶なんだから、つくらないという選択肢もある。でも、今つくらなければ、
これから撮影されるであろうその写真は生まれないことになる。絶対後悔する。
何としてもつくるのだ、やりとげるのだ。

つうかブログ書いてる場合じゃないだろクソよこた。
まにあわないではない。行けるところまで行くのだ。それが我が道なり。

さびしいからだれかといっしょにすごすのではなく、
さびしいから我が孤独をどこかだれかの心にとどけるのだ。

俺は今死ぬほど服をつくっている。幸せだうんこ。